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東海道新居宿 ふるさと再発見
東海道新居宿 寺道
■旧東海道の西側にある小道で、5つの寺院と2つの神社が集まっています。
  宝永4年(1707)10月4日の大地震で関所、宿場が流され、寺院、神社もこの山際の地に移転しました。
住吉神社
(すみよっさま)
祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命
 慶長8年(1603)の創立で、新居四社(諏訪神社、湊神社、八王子神社、住吉神社)の一つとされ、海上安全、豊漁の守護神として崇敬者が多く、特に漁民の信仰が厚い、
創立当時は住吉地区に鎮座していたが、度重なる天災を受け天当山に遷座となる。(1708年)
その後昭和37年(1962)新幹線工事で現在地へ三度目の移転となる。
当町の一連の夏祭り一番手で、この日から今年はじめて浴衣を着ます。
すみよっさま
新福寺
(曹洞宗 瑞龍山 新福寺)
 往古天台宗の寺で、真達公の開創と伝えられている。
 天正元年(1573)直傳龍察和尚がこの地に至り、曹洞宗に改め、草創開山となった。
 慶長元年(1596)三ヶ日金剛寺吉山宗豚和尚を請待して開山と仰ぎ、慶長18年(1613)浜名湖周辺を支配していた初代代官彦坂文右衛門英信により、諸堂の改修が行われた。
 宝永4年(1707)の大地震で諸堂の全てが壊滅したが、翌年寺を現在地に移転再興した。山門の両側には、百観音(石仏)が安置され、墓地上段には、彦坂文右衛門英信の墓がある。
新福寺
隣海院
(曹洞宗 新居山 隣海院)
 永享8年(1436)真達将公和尚が日ケ崎村に隣海庵を開創し、慶安元年(1648)曹洞宗に改宗するとともに進外能迪和尚を迎え、日ケ崎山隣海院となる。
 宝永4年(1707)大地震の大津波により諸堂が流出、翌年当地に移転、日ケ崎山を新居山と改める。
 文化7年(1810)の大火災により諸堂が消失したため、各所の修理、改築を行った。
山門は火災を免れ、最も古い建物として残り「ジキジキ像」が祭られている。位牌堂には山岡鉄舟の額、鐘楼堂東には歌碑、観音堂には三十三観音像がある。
隣海院
本果寺
(法華宗 正興山 本果寺)
 もとは真言宗の寺であったが、元中7年(1390)本興寺の末寺となり、法華宗に改宗した。 
 宝永4年(1707)の大地震の大津波により大破、惣町移転となり、翌年現在の地に移転した。
徳川家康をはじめ代々の将軍より朱印を賜り、有栖川宮御祈願所を拝命し、位牌を安置。松山新田の開拓者、野口休可の墓や無縁供養のめぐみ観音を祀る。
 俳匠大野林火の句碑があり、「お経に化けた鯛」の伝話もある。平成12年(2000)一字一石経の経塚に、「あけぼのの鐘」が建立された。
本果寺
神宮寺
(臨済宗 白翁山 神宮禅寺)
 寺紋は十六菊、伊勢神宮信仰に関係があったと思われる。創建時は日ケ崎にあったが、宝永4年(1707)の大地震後、新居宿のまちづくりと共に現在地に再建された。明治になって要津寺と光珠庵が当寺に合寺した。
 境内には、子安観音、関所稲荷(忠臣蔵に出てくる土屋主税が建立)、東海道の旅人の安全を見守っていた鯖弘法大師が祭られている。
神宮禅寺
諏訪神社
祭神 建御名方命
 諏訪神社は景行天皇十九年(約千九百年前)の創立と伝えられる古社である。当初は新居宿の総氏神、猪鼻湖神社として猿田彦大神を奉斎し、浜辺に鎮座していたが、数度の天災により宝永5年(1708)現在地に遷座となる。
 現神社名は井口嘉末なる者が信州より移り住み、天正年間(1590年頃)諏訪大明神の御分霊を合祀したことから、いつしか諏訪神社と称するようになった。
諏訪神社
龍谷寺
(臨済宗 東湖山 龍谷禅寺)
 創建当時は現在の浜松市入野町にあったが、寛文5年(1665)当地出身で山崎(浜松市西区雄踏町)の安寧寺住職であった萬牛和尚は、新居から山崎への信徒の往来の苦労を思い、東に湖を望むこの地へ嗣の絶えている東湖山龍谷寺を再興、開山となった。さらに、海を埋め立てて境内地を広げた。その地は、「龍谷寺掘り」と言い、現在でも地名が残っている。
 宝永4年(1707)の大地震で諸堂が崩壊。翌年、第二世の江国和尚が現在地に再建する。鎮守堂には、学問の神様「天神様」が祀られている。
龍谷寺
現地の案内板より
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